“レコーディング”の二極化について


エンジニアの話が出たところで、レコーディングという言葉についても紐解きたいと思います。
レコーディングとは音を録音する事と思われがちですが、それならばProtoolsでもカセットデッキでもMDでも同じです。
ですが、音楽におけるレコーディングはどちらかというと“作品、あるいは音源を製作する”という作業を指します。
レコーディング、ミックス、マスタリングの作業を経てマスターCD(あるいはDDPデータ)を生み出す作業が
いわゆる原版製作と言われるものです。この原版という言葉は契約書などで良く目にするものです。
ところが近年MTRやハードディスクレコーディングの普及で編集機能においてはアマチュアでもプロと変わらない
編集が可能になってきました。このあたりから録音できるスタジオやスタジオを名乗る個人が増加しました。
それ自体は特に問題は無いのですが、残念な事に既出のプラグインやパソコンの誤解が生まれ、同時に
リハーサルスタジオが環境、人材に予算をかけずに民生機でレコーディング業務に乗り出して来るという
レコーディング混乱期が訪れました。

その影響で音を記録する事が身近になった反面、本来のレコーディングの認識は大きく歪みました。
レコーディングスタジオというのはSSL等の巨大なコンソールがあって高級機材と一本何十万もするマイクが
あって、それを扱うエンジニアさんがいて、普通の人間ならちょっと気軽に始めてみようなんて思わない
非日常な空間というのが一昔前のスタンダードなイメージでした。

それが非常に優秀なミキサー機能を持つProtoolsHDが普及したため大型コンソールの必要性が少なくなり、
現在ではプロ環境においてもミキサーの無いコントロールルームが増えているためか、見た目は
素人からすればプロ環境も民生環境で同じような配置で物を置けば見分けがつかないような状態を生みました。

リハーサルスタジオのレコーディングサービスも否定はしませんが、散々な出来にもかかわらず大金を取る
スタジオは本当にうんざりします。

実際うちから現在流通しているアーティストもリハーサルスタジオでレコーディングした事があるのですが、
散々な出来で悔やんでいました。もちろん流通もせず、次回作をMORGで製作し、現在高評価を得ています。
非常に良いアーティストでも原版が駄目だと本当に結果が伴いません。
ちなみにかかったコストは曲単価でどちらも同じ位の金額での製作です。
このリハーサルスタジオ録音の不出来な音源のためにこのバンドは一年をつまづいて過ごしました。
もし比較試聴がしたい場合はHOOKUPRECORDSに行ってこの話をしてもらえれば音資料があります。
(現在このアーティストは2008年度ミナミホイールにも出演が決まりました。)

そこで思うのがレコーディングをプリプロ(又はデモ)レコーディングとレコーディングにわけて表記、あるいは
アーティストが認識すれば事態は改善すると思うのです。

本製品を製作する前のアレンジチェックであるプリプロダクション、いわゆるプリプロや気軽なデモ音源
であればProtoolsHDで無くても問題ないですし、マイクもプリアンプもNEUMANNやNEVEでなくとも役目は
十分に果たせるでしょう。それこそプラグインで“それっぽい音”にすればいいと思います。

しかし、音の質感など細かな作りこみが必要な原版製作であれば、マイク一つとっても例えばNEUMANNのU87aiが
ハイファイすぎるならば同じU87でも初期型を使うとか、AUDIOTECHNICAのATM25の立ち上がりが早すぎるから
SENNHEISERのMD421を使うとか、他の機材でもVINTECHのプリがモダンだからビンテージNEVEを使うとか、
現行の1176で狙いの質感が出ないから黒パネルのビンテージ1176を使うとか、そしてそれぞれ逆もありえるのが
本来の“レコーディング”たる原版製作の現場です。
また、高い機材だからいいわけではないです。価格差があろうと狙いにあったものであれば例えば
NEUMANNのU87から変更してRODEのNT-2Aにする場合もあります。
ミックスで音が作られるのではなく、マイキング、機材選定し、狙いの音で録音してそれをミックスするわけです。
そしてプレイヤーが狙いの音を聴きながら最高のテイクを残してくれる環境が本来の“レコーディングスタジオ”です。

ただ残念な事に今は一般的に前者も後者も同じ“レコーディングスタジオ”となっているのが現状です。

関西の某レコーディングスタジオはメインエンジニアとその他のエンジニアで料金を大幅に変更したようです。
これは結構画期的で、アーティスト、経験の浅いエンジニア双方に非常に有益なシステムと思います。
プリプロで使うにはあまりに贅沢な機材を使えるうえ、エンジニアも経験を積めて、お互いに未熟な点があっても
価格は非常に安いので出来がそこそこでもプリプロなら十分納得できるでしょう。
そして原版製作時にはメインエンジニアに依頼するという流れが非常に効率のいいやり方です。

ただ、原版を作る際は絶対にミックスだけでなくレコーディングもメインエンジニアで行くべきです。
マイキングや機材設定の判断、テイクのチョイスなどレコーディングはミックス、編集よりもまず第一に重要です。

MORGでも痛い目を見ましたがいい機材でも素人レベルのマイキングとパンチインで録音されたデータを
渡されてミックスしてくださいと言われてもあきらかに限界がありますので。

ただ不特定多数の若手エンジニアが機材のコンディション管理をしっかり出来るかどうかは多少疑問ですが…。
レコーディング機器はメンテも重要です。MORGもメンテに結構な大金を支払って維持しています。
その点においてもこのスタジオの英断はなかなかナイスと思っています。

現在のレコーディングの氾濫と若手エンジニアの世代断絶を防ぐ意味でもこのスタジオには頑張って欲しいです。
名前は出しませんが有名で機材もProtoolsHDはもちろんマイク、アウトボードも十分プロユースです。

そして出来ればアーティストがこれらの事態に気付いてくれれば他のリハーサルスタジオのレコーディング業務も
妥当な価格設定に値下げ、あるいはプロ用環境に機材が増強、エンジニアも意識が向上するかもしれません。

ただ、機材が揃っていてもエンジニアが未熟であればどんな酷い仕上がりにもなりえるのは間違いないですが。
そして本当に安定したいいエンジニアにはプロ環境を経験しないとまずなかなかなれません。

リハーサルと原版製作の明確な差別化が浸透すればスタジオも差別化され、いい作品といいアーティスト、
いい作品を生み出せるエンジニアとスタジオが残っていくのではないかと思います。