レコーディングは手軽で身近になった。
パソコンがあればもうどこでもレコーディングが出来る。
もう大金をレコーディングに費やすのはばかげている。
そんな話題が最も世の中に溢れていたのは恐らく2010年だったと記憶しています。
当時いい音とはなにか、レコーディングとはどういうものかという話題の中心に居た人物は間違いなく佐久間正英さんでした。
その2010年に無理を言って一度だけ佐久間さんの現場を見せていただいたことがあるのですが、メディアでの理路整然とした印象からは想像もつかないような柔らかな雰囲気の方でした。その現場で音楽の作り方とは、プロデューサーとはなんぞやというようなことで既に知っていたような当たり前のことがようやく実際に理解できたという体験をさせていただきました。どんなに当たり前に思えることも情報として知っているのと実際に体験するのとでは本当に違うことをはじめて本当の意味で理解できたように思います。
同時にいい音や少なくとも本来のレコーディングとはどういうものかということは実際に体験してみないことにはどんなに文章やメディアで伝えても到底伝えることが出来ないことだということも感じました。とはいえ、時代が変わったなどという言葉で本来のレコーディングという文化について触れなくなるのも、古いものだと消し去ることも違いますし、文章で伝わらないからといって文章を書かないのも違うのでこの話題について説くのは非常にストレスのかかる事なのだと2016年にしてあらためて思います。
あれから6年が経って時間に余裕のある仕事も任せていただけるようになり、ここで言う本来のレコーディングやそれに近いレコーディングを行っているエンジニアさんとの交流が増え、よりレコーディングそのものについて理解できてきたように思いますし、同時にレコーディングが抱える問題やジレンマについても理解できてきたように思います。
僕は関西の音楽シーンに沢山の違和感を感じながらMORGの代表として、エンジニアとして活動してきました。
その中でコラムを書くということをやっています。わかりやすい違和感を書くのは簡単です。都内にあって関西に無いものは沢山あり、知らないから自覚することも無い事が多いのは都心と田舎と考えれば音楽だけでなく当然存在するものですので想像しやすいからです。そしてそういう記事をつたないながら何年にも渡って綴って来ましたが、ついに最も深い話題に向き合っていく時期に入ってきたのだと感じています。
まずは「手軽になったレコーディング」と「本来のレコーディング」についてそれぞれその言葉の意味するところを説明していきます。
「手軽になったレコーディング」とは主にデジタル技術の発展により記録媒体がテープなど磁気媒体からハードディスクに代わったこと、MACなど高性能なパソコンが普及し、録音や打ち込みを手軽に行えるアプリケーションが身近になったことにより生まれた言葉と思われます。その過程ではざっと言っても記録媒体がアナログテープからデジタルテープになり、ハードディスクになり、大きなアナログマルチトラックレコーダーからデジタルのマルチトラックレコーダーになり、Protoolsになっていったのと同じく、カセットデッキが小型のマルチトラックレコーダーになり、ADAT、MD、MOなどの媒体を経てハードディスクになり、パソコンが普及したことでDAW(デジタルオーディオワークステーション)ソフトとオーディオインターフェイスを使ったシステムが普及していった流れがあります。ざっと20年程の期間の話です。(※シンセサイザーやMIDI、ソフト音源などを絡めるとより複雑かつレコーディングの話でフォーカスを当てるべきポイントからはずれますのでそこは割愛します。)
このテクノロジーの進化においてはアナログテープとデジタルではコストと利便性において圧倒的な差があります。テープというのは非常に高価で、マスター用のハーフインチで2016年現在一本15000円程します。これ一本で録れる量は2トラックで15から30分程です。ハードディスクだと1万円もあれば何百時間どころではない膨大な量のデータを記録することが出来ます。むしろレコーディングにおいてハードディスクの容量や金額など気にすること自体が無いと言えます。
次に波形の編集ですが、テープ時代はタイミングを合わせてから物理的にテープをカッターでカットして張り合わせて繋ぐという職人技が必要でした。それがDAWソフトの普及により目視で波形を確認できるようになり、マウスでカットして動かすという現代人であればほぼ誰でも出来るのではないかというレベルの容易さで波形を動かすことが可能です。また、失敗したとしても簡単な操作でやり直しが可能です。
音を録って編集するということはテクノロジーの進化により、間違いなくコストは比較にならないほど安くなり、簡単かつ手軽に行えるようになりました。
それらのテクノロジーの進化により現れたツールは大手の専門スタジオではない小型のリハーサルスタジオなどにも導入され、音を録音するというレコーディングサービスが現れました。これはMTRが普及した頃から少しづつはじまり、ライブハウスやリハーサルスタジオなどに勤務する人間がツールを覚えてレコーディングを行っていくようなパターンから、次第に部屋鳴りや部屋割りなどがレコーディングに適した小中規模のレコーディングスタジオとなっていきました。
近所のリハーサルスタジオでレコーディングが出来て、CDプレスも出来るようになり、自主制作、インディーズのブームが到来し、一部のバンドがインディーズで大ヒットを記録したこともあり一気にインディーズブームになった時期以降、中小規模のレコーディングスタジオやサービスが爆発的に生まれました。MORGもその中のひとつです。
それから2016年に至るまで手軽になったレコーディングはパソコンの更なる高性能化を遂げ、DAWソフトやオーディオインターフェイスも数千円から数万円で選べるほどとても安く、高性能で使いやすいものになっており、CDプレスもインディーズバブル期の1/3以下のコストで作成が可能になり、配信などよりコストのかからない販売方法やYOUTUBEなどインターネットを使って無料で広く世の中に発信することもも可能になっています。
音楽を手軽に作って手軽に録音して手軽に世の中に発信するということは間違いなく身近で手軽になっています。
次に「本来のレコーディング」についてです。
本来のレコーディングはアーティスト、ミュージシャン、ディレクター、マネージャー、プロデューサー、レコーディングエンジニア、テクニカルエンジニア、場合によってアレンジャーやレンタル機材業者が随伴して行われます。基本的にはレコーディングスタジオで行いますが場所は絶対にそうとは限りません。またこれらの人材のうちいずれかが居ない場合は大抵の場合その役割を兼任している場合が多いです。(例えばディレクターとエンジニアが兼任、またはプロデューサーがエンジニアを兼任、アレンジャーがプロデューサー、エンジニアを兼任、エンジニアが私物の機材を持ち込む、等)また、レコーディングの前にアレンジやサウンドの方向性を確認するプリプロダクションというレコーディングとは別の確認のための作業で録音をします。アレンジャー、プロデューサーが居る場合ももちろんこの段階で色々と刷りあわせます。(が、ギリギリになることや当日の変更も起き得るのでアレンジャーがレコーディングに立ち会う場合もあるということです。)
例えばプロデューサーがついたソロシンガーの場合、ディレクターがシンガー、プロデューサーと打ち合わせてエンジニアに仕事を発注し、レコーディングスタジオとミュージシャンを手配します。多くの場合、やりなれたプロデューサーとエンジニア、ミュージシャンが集まることになります。次にテクニカルエンジニアの手配です。いわゆるテックさんと呼ばれる彼らは楽器の調整に欠かせません。ピアノの調律などはピアノ調律士という職業が一般的にも認知されているのでわかりやすいと思います。本来のレコーディングではドラムテックやギターテックというスペシャリストが楽器を調整します。また、プロデューサーやテクニカルエンジニアが楽器類を持ち込む場合もありますし、特別高価かつ貴重な楽器などがレンタルされることもあります。
バンドの場合はミュージシャンは本人のみの場合もあり、客演で発注するゲストミュージシャンやサポートミュージシャンという形になります。
沢山の人間がレコーディングに参加するということはわかっていただけたと思うのですが、当然ながらこれらの人材はそれぞれのスペシャリストであり、プロフェッショナルそのもののスキルがレコーディング現場の隅々に感じられます。それは時に緊張の現場であり、和やかな現場であり、その場にいる全ての人間が刺激と「良い」という感性を共有します。少しわかりやすく言えば「良い音」「良い演奏」「良いグルーヴ」などのひとつの価値基準を身をもって知ることが出来ます。各スペシャリストそれぞれが時間をかけて、経験を積んで構築してきた仕事のノウハウを実際に見て、感じてはじめて知ることが出来る領域で、多くの若手ミュージシャンでは想像もつかなかったような事を経験できます。
しかし、これだけ大勢のスペシャリストが集まるとなるとスタジオも広い方が良いですし、各人へのギャランティーを考えると相当なコストがかかります。
以上が「手軽になったレコーディング」と「本来のレコーディング」という言葉が意味するところと思います。
確かにツールとしてはレコーダーは恐ろしく進化し、安価で便利になりましたが、一流の職人が長年積み上げてきた感性を体得できるようなツールは開発されていませんし、プロのテックエンジニアのような楽器の調整が出来る機械もありません。経験豊富なプロデューサーやミュージシャン、エンジニアなども殆どは首都圏に在住しています。また、本来のレコーディングは時間がかかってしまいます。というより各人がベストの仕事をし、全員が感性を共有し成長する時間を過ごせることが非常に重要なこととなりますし、それは録音物に結果としてあらわれます。その点においてはデジタルツールが便利になった恩恵は大いにあり、手間とコストの大幅な削減に繋がったと思います。(反面多くの技術者が職を失いましたが)また、設備投資という点で比較しても「本来のレコーディング」で使用されるような機材は多くの場合、マイク一本百万円するものがあったり、総額数千万円するような機材とが使われています。レコーダーで比較しても数万円から数十万円の物ではなく、プロ用途の数百万円以上するシステムで行われます。むしろプロ標準のProtoolsHDがHDXなり百万少々から選択肢が生まれるほど安くなったという状況です。
同じレコーディングという言葉ですが、こうして並べると比較するような内容では無いことがわかります。
しかし本来のレコーディングを知らない人からすればこれらの意味を言葉から判別することは非常に困難です。そしてこういった文章のみで本来のレコーディング理解することは不可能と思います。仮に映像技術がとてつもなく進化し、臨場感のある再生環境で素晴らしいドキュメンタリーが作成されたとして、それを追体験してもなかなか難しいと思います。(文章よりはわかりやすいと思いますが)これは佐久間さんに会い、それから何年も経ってようやく自分が理解できてきた経緯から考えても間違いないと思います。同時に情報もまたインターネットに溢れ、スマートフォンなどの便利な端末で手軽に入手できますが、それだけでは理解できないことが沢山あるというのも再認識すべきと思います。
少し話が飛ぶようですが、他にも「手軽になったレコーディング」と「本来のレコーディング」同様に「お金をもらっていたらプロ」「レコーディングが身近になってレコーディングエンジニアは職を失う」というような話題も何となく「プロ」「エンジニア」という言葉の意味と内容自体に違いがあるのもわかりやすいように思います。それでも明確に「プロ」という定義が必要なら例えば「コンスタントにオリコンチャートに入っているミュージシャンを継続して担当している」「大手レコード会社と継続して取引をしている」などの公に記録として残る条件で照らせばはやいです。いわゆる「プロ」の人材であれば普通に当てはまる条件(むしろ回避する事のほうが不可能に近い)ですので。様々な業界に「元プロ」が存在している中、「エンジニアを名乗ったらその日からエンジニア」「お金をもらったらプロ」というのはここでお話したまっとうな業界の基準からすればお話にならないです。もちろん矜持やプロ意識として一般社会の良心的観点からそれらの意識を持つことは素晴らしいことですので是非視野を広げていただきたいです。
この話題に通じる部分でもう二つばかり同様の言葉の違和感にも触れます。「フリーランス」「研究」です。
このワードは若いエンジニア志望の人たちが送ってくるメールやメッセージに含まれていることが多いです。ここはシンプルに書くと「フリーランス」は業界や会社でプロとして実務の経験を積んでから独立してはじめて名乗れる言葉と思います。経験も熟練の技術、ノウハウの無い方がフリーランスと名乗ってもそれは「アマチュア」か「個人」の間違いと思います。
「研究」に関してもこれは自分の感覚ですが、「勉強」ではないのであれば最低限プロの人間に教わり、研究に参加しているような状態で無い限りは殆どの場合「研究」ではありません。極稀に全然違った観点から「研究」している方(多くの場合何かのジャンルでプロ)もいるのでバッサリとは言えませんが、現状若い人が言う「研究」で「勉強」の域を出たものには出会えていません。
では話を戻します。
レコーディングということが音を媒体に録音するという目的そのものであれば随分手軽になりましたし、今や専門の技術者も不要でレコーディングする事は可能でしょう。しかし、レコーディングというのがノウハウを持った技術者と音楽作品を作り上げる事、先述したような経験を伴う行為であると考えるとむしろ手軽とは程遠い事であることは明白です。同時に収益が落ちて予算がなかなか確保できない状況が「本来のレコーディング」をより難しくしていること、そこに論旨の違う「手軽になったレコーディング」の話題が重なり、余計にレコーディングというものがわからなくなっていったという状況が見えてきます。もちろん業界もレコーディング風景の配信やドキュメントの制作などを行ってきたと感じていますが、やはりそれでも理解には至りません。(先述の通り多分不可能。)
ただ音楽業界は常に変化しています。近年では地方に住みながらメジャーで活動するミュージシャンも増えています。同時に彼らをサポートする人材も首都圏から移住したりと、地方にも少しづつ本来のレコーディングの片鱗を感じさせる現場が増えているように感じます。同時に都内の音楽業界と関わる機会も増えているように感じます。これは地方の音楽文化に対して非常に有益な事であり、音楽業界の本当の意味での活性化にも繋がっていくと信じています。
2016年現在。MORG代表門垣はWAVE RIDERとしても活動しています。都内で現在も活躍している岡村弦氏、岩谷啓士郎氏と情報を共有し、関西でも都内に引けを取らないレコーディングを提供できるようになって来ました。まだまだこれからですが、確かな手ごたえを日々感じています。
MORGもその変化の一助となれるように日々努力を重ねて参ります。
2016/7/7